拝啓
いったいなにが問題だったのか、僕にはまったくわかりません。僕はただ、正当防衛をしただけです。僕とおなじ状況に陥ったら、きっとみんなそうすると思います。なのに、誰も僕をわかってくれませんでした。なぜなのかわかりません。悪いのはあくまで向こうなのに、どうして僕が制裁されてしまうのでしょう。お腹を思いきり蹴飛ばすことができるのでしょう。僕があのとき吐いたのは、演技なんかではありません。本当に痛くて、突然気分が悪くなったからです。我慢できなかったのです。
僕は、これ以上同じことが続くようなら、彼らを殺すしかないと本気で考えていました。人殺しはいけないことですが、必要なときだってあるのです。それがこのときだったという、それだけの話です。この場所に人を殺せる一般的な道具はなにひとつありませんが、一般的でなければいくらでもあります。例えば今僕が座っている椅子で頭をたくさん殴れば人は死ぬだろうし、頭を掴んで何度もかたい壁に叩きつけても納得のいく結果となるでしょう。ものは考えようと両方の仕方です。ただ単に人を殺すだけというのなら、まだまだほかにもたくさん術があるでしょう。
僕が自分でいろいろ考えた結果、この場所で彼らを殺すのにいちばん手間がかからず有効な凶器は、今この手紙を綴っているシャーペンということになりました。シャーペンは先が細いので、要はこれで頸動脈なり心臓なりを刺すことができればいいのです。椅子で殴るのとは違い、この方法なら確実に一撃で彼らを仕留めることができます。僕は実際に人を殺したことはありませんが、殺そうとしたことは何度かあるので、要領は一応わかっているつもりです。ただ、たまたま今までに成功した例がないだけです。僕がここに入る理由となった、この前のことだってそうです。あのとき邪魔が入らなければ、僕は彼を殺せたのに。そうしたら、僕の不安の要素はすべて取り除かれ、僕は自然体になれるはずでした。正直言って、あのとき警察に通報してくれた誰かが僕は憎くてたまらないのですが、まあ、済んだことは、もういいです。問題は過去の話ではありません。
その夜、彼らは予想どおり、僕に突っかかってきました。卑怯な彼らは、僕ひとりを相手にいつも2人でつるんできます。おかしな話です。だって、僕は中学生で、彼らは高校生だったからです。たぶん2年か3年です。それだけ年が違うのに、僕を相手どるのにつるむ必要性がまったくわかりません。所詮ひとりではコンビニにすら行けない、低脳な不良少年といったところでしょうか。さすが、ここは日本のレッドゾーンです。お話にならないカスしかいません。もっとも、僕も彼らと同じ場所にいる以上、僕自身も例に洩れないカスなのかもしれませんが。
彼らのうちのひとりが僕の髪を思いきり掴んできたので、僕はそいつを思いきり突き飛ばしてやりました。僕はなるべく早くこの場所を出ていきたかったので、騒ぎを起こさないようにと僕に関するなにが起こっても知らんぷりしていました。なにが起こってもです。でも、このときばかりは、本当に我慢の限界がきていました。というより、とうの昔に我慢の限界点に到達していました。僕の反撃に怯んだそいつを、僕は胸ぐらを掴んで壁に背中を押しつけてやりました。僕の力は予想以上に強かったらしく、そいつはさらに怯みました。つるみが驚いた表情で口をぱくぱくと動かしているのが視界の隅に入りましたが、僕は気にしないことに決めました。
いい加減にしてよ、と僕は言いました。いい加減にしてよ、僕のなにが気に食わないんだよ。僕はそう言いました。そいつは驚いているばかりで、なにも答えてくれませんでした。僕はさらに強く彼の胸ぐらを掴みあげ、言いました。鏡はみてないけれど、このときの僕は、たぶん相当無表情だったと思います。僕は普段からクールなほうですが、このときは、改めて自覚できるくらい、僕の顔には表情がなかったのです。
なんとか言ったらどうなんだよ、と、僕は問いただします。お互い人生でミスした似た者同士じゃないか、仲良くなることもなく不仲になることもなく、互いに無視し合う静かな生活がどうしてできないんだよ。お前がいちいち僕の気に障るから、こうしてまた外に出られる日を遠ざけるような結果を招くんだよ。彼の胸ぐらを掴んでいないほうの手で、僕はシャーペンを握り締めていました。このとき僕は、妙に冷静に、ああ、今日の僕って饒舌だなぁと自己分析を進めていました。僕は、自分がいつになく饒舌になっていると、現在進行形で、この状況はよくないものなのだ、と自分自身で判断できます。要は、自分の気持ちが、非常に高ぶっているのです。自分で興奮していることを認識できても、僕はあくまで冷静でした。取り乱したことをすると、僕がシャーペンを彼の首に突き刺す前に、駆け付けた筋肉質の男の人たちに自分が取り押さえられてしまいます。そうすると、当然、作戦は失敗に終わります。前のときのように。そんな悲しい結末を阻止するためにも、僕は落ち着いていました。これで作戦失敗は免れることができます。けれど、あまりに悠長に殺しを実行するの
も、得策とは言えません。彼は怯えたような目をして、ひたすら僕に謝ってきました。僕がシャーペンを拳を震わせて握り締めているのを見て、直感的に、自分が殺されることを悟ったのかもしれません。じっと僕が彼を見つめると、彼は、ぼろぼろと両目から大粒の涙を溢しました。彼が年上だと知っているだけに、その姿は、僕にとって、ひどく情けなくて、とても格好悪いように見えました。
あまりに弱くて、見てられなくて、僕はため息をつきたくなりました。こんな弱っちい奴に今まで嫌がらせを受けていたなんて。途端に僕は、この場所での今日までの生活がすべてバカバカしく思えてきました。もっと早く、さっさと殺しとけばよかったのかな。そんなことも考えました。もう一度ため息をつきそうになったので、僕は、彼の首に向かってシャーペンを構えました。なんだか面倒になってきたし、気が変わらないうちに早く殺してしまおう、と僕は思いました。叫ばれると迷惑なので、僕は彼の襟を含んで胸ぐらを掴み直し、彼の口を塞ぐように壁に追い詰めました。呻くような声をあげながら、情けなく泣き続けている彼の首目掛けて、僕は一気にシャーペンを振りかざしました。
僕が横からお腹を蹴られたのは、そのときでした。黒い靴を履いた、大きな足でした。あまりに痛かったので僕はシャーペンを取り落とし、彼を捕まえていた手を放してしまい、すごい勢いで吹っ飛びました。蹴られた場所が悪かったのか、すぐに僕は吐いてしまいました。もちろん、演技などではありません。夕食で食べたものが、そのまま出てきたものもありました。息をするのも痛くて苦しくて、すごく辛い時間でした。何度も何度も吐きました。いっそ血でも吐いていたら、一晩だけでも柔らかいベッドに入れたかもしれないのに。悲しいことに、僕が吐き出し続けていたのは胃液ばかりでした。
部屋のドアが開いた音なんて聞こえませんでしたが、その人が入ってきて僕を蹴りあげた以上、単に僕が気付かなかっただけで扉は開いたのだと思います。僕が殺すはずだった彼は、目を見開いて硬直しているつるみのほうへ這っていきました。その隣には、さらにもうひとりの同房もいました。おそらく、ふたりのつるみよりも年上です。その人も目を大きく開き、ひどく驚愕している様子でしたが、彼がこの部屋に筋肉質の男の人を入れたことは、なんとなく察することができました。僕の作戦は、またしても失敗に終わったわけです。残念だな、と思う反面、まぁ仕方ないか、と開き直っている僕もいました。
男の人は一頻り僕を蹴ると、僕の胸ぐらを掴みました。背の小さい僕なんて、軽々と持ち上がってしまいました。僕はまだ四つん這いで吐いていたかったのですが、どう考えてもそれは無理そうだったので、諦めることにしました。予想通り、男の人が、どうしてこんなことをしたのか言え、と僕に命令しました。呼吸を整えながら、僕は男の人にすべてを告白しました。今まで、僕が2人のつるみにどれだけの嫌がらせを受けてきたのか、包み隠さず打ち明けました。これで僕は、あくまで正当防衛をしただけだということをわかってもらえた、と思いました。後のお咎めと制裁は、ほかの2人が受け止めるんだと考えると、なんだかすごく気持ちがすっきりしました。殺せなかったのは残念だけど、後は僕がやらなくてもいい。そう思うと、とても楽になりました。けれど不思議なことに、男の人は、それまで黙って僕の話を聞いていたくせに、いきなり僕の頬を殴り飛ばしたのです。再び僕は吹っ飛びました。ほかの3人の視線は、震えながらも、僕に集中していました。わけがわからず、僕は立つこともままならずに、男の人を見つめました。衝撃が強すぎて口の
中が切れてしまったらしく、僕は鉄っぽい味を感じていました。
どんな理由があっても、手を出したほうが負けなんだよ。男の人は冷たく言い放つと、僕に歩み寄ってきました。僕の頭を掴み、一瞬哀れむような目をした後、男の人は言います。「でも、お前にはいくら教えても無駄みたいだ」。僕には、意味がわかりませんでした。
次の日の朝、僕はいつものように起床しました。朝食を終えると、みんなはいつものように表へ向かっていくのに、僕だけが違う場所に呼び出されました。ひとりでそこへ向かうと、前の晩に僕を叩いた男の人と、この場所でいちばん偉い人が待っていました。別に怖くなかったし、僕の頭も昨晩に比べるとかなり冷えていたので、僕は冷静に「なにか用ですか」と尋ねました。いちばん偉い人が、寂しそうな顔をして「反省してますか」と訊いてきました。僕は頭に昨晩のことを思い浮かべて「はい」と答えました。いちばん偉い人は、さらにこう訊いてきました。「悪いのは誰ですか」僕は答えました。「僕です。でも、あいつらだって悪いです」偉い人はさらに言います。「それだけですか」僕は答えました。「そうです」「わかりました」偉い人は悲しそうな目をしました。それからこう言いました。「部屋に戻って荷物をまとめてきてください」よくわからなかったけれど、僕は外に出られることになったのです。なぜあんなに悲しそうな目をしたのか、今でも心に引っかかっていますが、もう会うことはないと思うので気にしないことにしました。
鉄柵の外の世界は久しぶりで、とても新鮮でした。たくさんの人が見送りに来ていて、僕を叩いた男の人もいました。その人は、僕に20、30人殺して戻って来い、そしたら死刑にしてやれるからと耳打ちしてきました。不快だったので、僕は無視しました。
いろいろなことがありましたが、結果的に早くここを出ることができたので、僕は満足です。これからの生活やお金のことなど、問題は山積みですが、僕はもう、あの場所へ戻りたくはありません。一生懸命頑張るので、どうか優しく見守っていてください。
敬具
差出人 M.ユウキ
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