「必ずしも、とは言わないけど」
「ふざけんな。あいつがどれだけ傷ついたかわかんねえのか。ラケット壊されてたんだぞ!?」
三橋の態度が、癪に障った。いじめで人生が好転するなんて、そんなのこじつけだ。妄想だ。三橋が勝手に決めつけた、三橋のルールだ。そう思うと、腸が煮えくり返る心地だった。
「なあ、三橋。玲介が、なんでいつもあんなに荷物が多いか知ってるか。過去にラケットを壊されたことがトラウマになって、今でも卓球の道具を自分の家以外の場所に置いておけないからなんだよ。部室に置いて帰るのが怖いんだよ。目が届くところにないと、あいつ、不安で不安で仕方ねえんだよ!」
三橋はなにも言わなかった。振り向きもしなかった。それがまた腹立たしかった。三橋の頭をかち割ってやりたかった。でも、それを、社会も俺も、嘉兄も、きっと許さない。許すはずもない。堪えきれず、俺はデッキブラシを床に投げつけた。からんからん、と、乾いた音がした。三橋はやっぱり無反応で、静かに窓を拭き続けていた。
「随分熱くなるんだね、七瀬って。自分のことじゃないのに」
三橋は、飽くまで冷静だった。そこまで冷えた声を聞かされると、頭に昇った血も否応なしに冷却されてしまう。三橋の一貫された態度は、人を不必要なまでに静めるか、不必要なまでに激昂させるか、そのどちらかしか導かない。今日の俺は、前者のようだ。俺の今日の運勢は、そう悪いほうではないのかもしれない。もう夕方時だけど。
「キミのお兄さんはいい弟を持ったと思うし、堺はいい友だちを持ったと思うよ。僕には不可能な話だから、ちょっとだけ羨ましい」
「不可能って、なにがどういう意味で」
「いじめって、確かにいけないことだと思うけど」
なにがどういう意味で不可能なんだよ、と言おうとした俺を遮って、三橋はひとりで喋り続ける。普段クールで口数が少ないだけに、饒舌な三橋というのは、貴重なカットだった。
窓ガラスを磨き終えたらしく、三橋は白い雑巾を手洗場で洗い始める。俺と三橋に命じられた懲罰なのに、俺が突っ立っているうちに、三橋はほとんどひとりでトイレ掃除を終わらせてしまった。美少年は、仕事もすこぶるスピーディにこなすスキルを身につけているようだ。
「少なくとも、僕は、そのいじめがあったおかげで、この学園にいる」