ばん、と耳の横で音がした。意外な程のその大きさに、ユーキは思わず、一瞬肩を引きつらせてしまう。
ユーキに逃げ場はなかった。少し視線を横にずらせば、壁に張り付く細い指先が視界を塞いでいるのがわかる。ほかの誰でもない、リオンの見慣れた掌だった。
リオンは俯き、酷く息切れていた。リオンの両腕に行く手を阻まれているユーキは、ただ体力を消耗している彼を見つめることしかできなかった。目より下、少し長めに整えたリオンの前髪には、じっとりと汗が滲んでいるのがわかる。
ユーキの目は、不意に、リオンの髪の上に小さな埃がかかっているのを捉えた。どこをどう走ってこの部屋に辿り着いたのか、恐らく本人の記憶は曖昧だろう。小さな埃は、なりふり構わず一目散に、自分のもとへと駆け出してきた証拠だ。そんなことをユーキはぼんやりと考え、埃を払い落とそうとリオンの頭に手を伸ばした。その瞬間、響いたのは怒号の声だった。
「触るな!」
いつもの澄んだ、よく通る声は荒れていた。ユーキの大好きな声。ひび割れるような危ういトーンに、ユーキは反射的に手を引っ込めた。
「触るな……僕に触るな! お前は……いつも、そう……」
リオンは掠れた声で言う。ユーキはなにも言葉を発することができず、一向に顔をあげようとしないリオンを見つめ続ける。「いつもそう」。リオンの発したそれに、ユーキの心臓は竦み上がるようだった。なぜお前は、こうも僕を苦しめるんだ。遠回しに、そう責められているようだった。
リオンの爪が、がり、と壁を引っ掻いた。ユーキには、それがリオンの心の崩壊を示す警鐘のように聞こえた。無意識に耳を両手で塞ぎ、奇声をあげそうになる。頭がおかしくなりそうだった。ユーキは必死に口をつぐみ、尋常でなく速く鼓動する胸を両手で抑え込む。
PR